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ユリウス暦とキリスト教的歴史観

ユリウス暦は、カエサルによって紀元前45年に実施された太陽暦であるが、キリスト教の多くの宗派が採用したことで普及した。なぜキリスト教は、この暦を受け入れたのだろうか。

暦が成り立つためには、時が直線的に刻まれていくという感覚を皆が共有することを必要とする。

古代ギリシアの歴史家と言えば、『歴史』を著したヘロドトス(前485~425年)と『戦記』を著したトゥキュディデス(前460~400年)が双璧をなす。これらは、どちらかと言えば、歴史書と言うよりは文学作品であって、そこに明確な歴史観は見出しがたい。また、古代ギリシア哲学者の著作にも、歴史を扱ったものは存在しない。

しかし、レービットによれば、ギリシアには同じ出来事が繰り返されるのが歴史であるといった循環的・回帰的歴史観があったとされる。自然の営みからすれば、歴史は繰り返されるといった感覚の方が、ギリシア人の生活実感にマッチしていたのかもしれない。

こうした歴史観を大きく覆したのはキリスト教の教えであった。天地創造の神に背き罪(原罪)を犯した人間が、神の摂理を示す歴史を通じて救済され、永遠に神の祝福の下にある新天新地に至るといった歴史観が生まれた。ノア契約、アブラハム契約、モーセ契約による救済を経た後、旧約聖書の予言は新約聖書の歴史によって実現される。救い主はイエスという名の人間になって(受肉し)、この世の降誕した後、人間の罪の身代わりとなって昇天した。その後、精霊が弟子たちに降臨し、信者の中に英霊が内在することになったが、やがて人類は終末を迎え、メシアの再臨、千年王国、人の復活、最後の審判を経て、新天新地に至ることになる。こうした歴史観は、キリストの人性を否定するグノーシス派に対抗するために、紀元前2世紀ごろにアンティオケのイグナティウスが提唱したものと考えられている。

かくしてキリスト教は、時の流れを直線的なものと見る歴史観を生み出すことになった。そして、これこそが、ユリウス暦を受け入れる素地だったのではないだろうか。

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