「小さな政府」を「大きな社会」で包み込む
90年代以降、日本の思想をリードしてきた宮台真司氏は、ニクラス・ルーマンの「社会システム論」に基づく理論社会学を基本的視座に据えながら、『制服少女たちの選択』(1994年)、『終わりなき日常を生きろーオウム完全克服マニュアル』(1995年)、『透明な存在の不透明な悪意』(1997年)など一連の著作を通じて、現代社会の抱える諸問題に深く切り込んできた気鋭の社会学者です。
そんな彼が、理想の社会像として提示するのが、「小さな政府(国家)」と「大きな社会」の組み合わせです。例えば、昨年ベストセラーとなった『日本の難点』(幻冬舎新新書)では、次のように述べています。
「政府の財政に限りがあり、政府の支援が社会の空洞化を促進する以上、どのみち『大きな政府』ではやっていけない。これは端的な事実だという他ありません。」「であれば、・・・社会から『大きな国家』に移転されてしまった便益供与のメカニズムを、社会に差し戻す必要があります。それが、『大きな社会』の含意です。僕の考えでは、『小さな国家』&『大きな社会』への流れは、どのみち不可避なのです。」
宮台氏は、この「小さな政府を大きな社会で包摂する」という考え方の源流を、サッチャー元首相からメージャー元首相に続く保守党政権下で大臣を歴任したダグラス・ハード氏に求めています。すなわち、彼が示した「能動的市民社会性」の考え方が、労働党系政治学者であるデビット・グリーンや保守党系政治学者であるバーナード・クリックの支持を得て、政権交代後のブレア政権のブレインであった労働党系社会学者のアンソニー・ギデンズ(あの有名な「第三の道」の提唱者)へと受け継がれたというわけです。
確かに、この枠組みは、日本社会の問題を分析する際にも、一定の有用性を持つように思います。長年にわたる自民党政治が「大きな政府」&「小さな社会」を基礎にしていたのに対し、小泉構造改革は、「小さな政府」を目指しました。しかし、「小さな政府」を包み込むだけの「大きな社会」が育たなかったため、「小さな政府」&「小さな社会」という、最も「痛み」を伴う組み合わせに陥ってしまいました。
それに対し、現在の民主党政権は、「大きな政府」に回帰することで、その「痛み」を緩和しようと試みています。しかし、国民の多くはそれがモルヒネ療法にすぎないことに気付き始めています。確かに民主党政権も、「新しい公共」という問題提起をすることで、社会の新しい在り方を模索しようと試みていますが、その先にあるものが、「大きな政府」によって強要された「大きな社会」だとするならば、それは社会主義に限りなく近い社会システムのように思えてなりません。
宮台氏は、「大きな社会」と言っても、強い「社会的排除」を伴う旧来の家族や地域や宗教団体を復活させることを企図するものではないことを強調します。では、それはどのようなもので、一体どうすれば構築できるものなのでしょうか。仮にその答えが見つかったとすれば、日本の進むべき道も見えてくるのかもしれません。しかし、もしかすると、それは単なる机上の空論であって、セカンド・ベストとの間で折り合いをつけなければならないのが現実かもしれません。いずれにせよ、より踏み込んだ議論を重ねることが必要だと思います。
民主党の中には、「大きな政府」か「小さな政府」かの論争はすでに終わったと豪語する人がいます。おそらく彼らの頭の中には、「新しい公共」を通じた「大きな社会」がイメージされていて、そちらを議論すべきだと考えておられるのでしょう。しかし、忘れてはならないことは、「大きな社会」の問題は、国家の在り方と一緒に議論しなければならないテーマであって、決して単独で論じられるべきものではないということです。
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