舛添要一『厚生労働省戦記』(中央公論新社)を読む
2007年8月以来、安倍・福田・麻生の各内閣において厚生労働大臣を務めた舛添要一氏が、752日間にわたる在任期間中の仕事を振り返りながら、大臣とはどうあるべきなのかを問う回想録。
私は、2008年3月から8月までの5ヶ月間と同年10月から11月までの2ヶ月間、舛添大臣の下で年金記録問題の解決に当たったことから、ごく一部分ではあるが、舛添大臣の仕事を間近で垣間見た者の一人である。
そうした中で、私は、舛添大臣の仕事ぶりにはいくつかの特徴があるように感じていた。しかし、当時は、その背後にある舛添大臣の考え方を深く理解するまでには至らなかった。本書を読んで私は、ようやくその謎が解けたような気がしたので、ここでは特にその点を紹介しておこう。例えば、本書には次のような下りがある。
「官僚を敵に仕立て上げてバッシングし、マスコミの歓心を買うのは、ポピュリズムであり衆愚政治である。しかし、大臣のリーダーシップに対して反旗を翻す役人には、メディアを利用するようなポピュリズムの手法を使ってでも抵抗を抑え込むことを辞さなかった。」(12頁)
「要はバランスで、政治指導者は、原則は原則として、現実に問題が生じれば果敢にそれを修正していくリアリズムが必要である。原理主義者は真のリーダーには向いていない。」(83頁)
「『汗は自分でかきましょう、手柄は他人にあげましょう』という竹下登元首相の言葉を励みとしたものである。」(266頁)
これらの言葉に表れている行動原理が理解できれば、舛添要一という政治家が、厚生労働省という巨大組織の中で、抵抗する官僚やそれを支える族議員と闘いながら、何故あれほどまでに数多くの仕事をこなすことができたのかを理解できるに違いない。
さらに本書には、舛添氏が「大臣キャビネ」と呼ぶ組織を上手に活用していた様子や、御用学者を集めた官僚の隠れ蓑としての審議会ではなく、信頼できる専門家を集めて政策決定を行っていた姿も描き出されている。これらは、新党結成後の舛添氏が将来の政権を構想する際にも、重要な仕組みとして位置付けられているようである。
ところで、舛添大臣の下で私に与えられた仕事については、本書の172頁以下に詳しく述べられている。173頁には、私が室長を拝命した「年金記録問題に関する特別チーム室」について、次のような下りがある。
「大臣に権限を授与されたこの特別チーム室は、社会保険庁に乗り込んでいって生の記録を検証し、これまで外部からはうかがい知れなかったこの組織の闇を暴いていくことになる。その過程で、特別チーム室と社会保険庁との間で壮絶なバトルが繰り広げられることになる。大臣である私は、両者の間を調整するのに大いに骨を折ったものである。」
仕事の成果を高く評価していただきながらも、大変苦労をおかけしたことがにじみ出ているこの文章を読んで、私は、当時の自分があまりに原理主義的であったために、舛添大臣の行動原理にそぐわなかったことを知り、反省した次第である。
また、年金記録(標準報酬月額)の改ざんを調査した報告書を委員長として取りまとめた後、私は、自民党の部会に呼ばれ、厚生労働省出身の自民党議員であった坂本由紀子参議院議員(当時)から強烈な批判を受けた。坂本氏は、その後、参議院の厚生労働委員会で舛添大臣に対しても私の報告書を批判する質問を行ったことが、183頁に描かれている。まさに、自民党の腐敗した族議員政治そのものとえいる光景であるが、今となってみれば、このような形になったのも、やはり私の原理主義が原因だったのかも知れないと感じている。
いずれにせよ本書は、大臣とはどうあるべきなのかということを、私たちに鋭く問いかけてくる。まさに烈火のごとく仕事をこなし続けた舛添大臣と、何となく影の薄い長妻大臣とを比較しながら、両者の行動原理の違いに思いを至らせてみるのも面白いかもしれない。
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