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2010年5月

舛添要一『厚生労働省戦記』(中央公論新社)を読む

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 2007年8月以来、安倍・福田・麻生の各内閣において厚生労働大臣を務めた舛添要一氏が、752日間にわたる在任期間中の仕事を振り返りながら、大臣とはどうあるべきなのかを問う回想録。

 私は、2008年3月から8月までの5ヶ月間と同年10月から11月までの2ヶ月間、舛添大臣の下で年金記録問題の解決に当たったことから、ごく一部分ではあるが、舛添大臣の仕事を間近で垣間見た者の一人である。

 そうした中で、私は、舛添大臣の仕事ぶりにはいくつかの特徴があるように感じていた。しかし、当時は、その背後にある舛添大臣の考え方を深く理解するまでには至らなかった。本書を読んで私は、ようやくその謎が解けたような気がしたので、ここでは特にその点を紹介しておこう例えば、本書には次のような下りがある。

 「官僚を敵に仕立て上げてバッシングし、マスコミの歓心を買うのは、ポピュリズムであり衆愚政治である。しかし、大臣のリーダーシップに対して反旗を翻す役人には、メディアを利用するようなポピュリズムの手法を使ってでも抵抗を抑え込むことを辞さなかった。」(12頁)

 「要はバランスで、政治指導者は、原則は原則として、現実に問題が生じれば果敢にそれを修正していくリアリズムが必要である。原理主義者は真のリーダーには向いていない。」(83頁)

 「『汗は自分でかきましょう、手柄は他人にあげましょう』という竹下登元首相の言葉を励みとしたものである。」(266頁)

 これらの言葉に表れている行動原理が理解できれば、舛添要一という政治家が、厚生労働省という巨大組織の中で、抵抗する官僚やそれを支える族議員と闘いながら、何故あれほどまでに数多くの仕事をこなすことができたのかを理解できるに違いない。

 さらに本書には、舛添氏が「大臣キャビネ」と呼ぶ組織を上手に活用していた様子や、御用学者を集めた官僚の隠れ蓑としての審議会ではなく、信頼できる専門家を集めて政策決定を行っていた姿も描き出されている。これらは、新党結成後の舛添氏が将来の政権を構想する際にも、重要な仕組みとして位置付けられているようである。

 ところで、舛添大臣の下で私に与えられた仕事については、本書の172頁以下に詳しく述べられている。173頁には、私が室長を拝命した「年金記録問題に関する特別チーム室」について、次のような下りがある。

 「大臣に権限を授与されたこの特別チーム室は、社会保険庁に乗り込んでいって生の記録を検証し、これまで外部からはうかがい知れなかったこの組織の闇を暴いていくことになる。その過程で、特別チーム室と社会保険庁との間で壮絶なバトルが繰り広げられることになる。大臣である私は、両者の間を調整するのに大いに骨を折ったものである。」

 仕事の成果を高く評価していただきながらも、大変苦労をおかけしたことがにじみ出ているこの文章を読んで、私は、当時の自分があまりに原理主義的であったために、舛添大臣の行動原理にそぐわなかったことを知り、反省した次第である。

 また、年金記録(標準報酬月額)の改ざんを調査した報告書を委員長として取りまとめた後、私は、自民党の部会に呼ばれ、厚生労働省出身の自民党議員であった坂本由紀子参議院議員(当時)から強烈な批判を受けた。坂本氏は、その後、参議院の厚生労働委員会で舛添大臣に対しても私の報告書を批判する質問を行ったことが、183頁に描かれている。まさに、自民党の腐敗した族議員政治そのものとえいる光景であるが、今となってみれば、このような形になったのも、やはり私の原理主義が原因だったのかも知れないと感じている。

 いずれにせよ本書は、大臣とはどうあるべきなのかということを、私たちに鋭く問いかけてくる。まさに烈火のごとく仕事をこなし続けた舛添大臣と、何となく影の薄い長妻大臣とを比較しながら、両者の行動原理の違いに思いを至らせてみるのも面白いかもしれない。 

 

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日テレNEWS24「野村修也の木曜政経塾」で「宝くじの事業仕分け」を取り上げました

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 27日の『デイリープラネット』「プラネット・View 野村修也の木曜政経塾」は、「宝くじの事業仕分け」を取り上げました。庶民の夢である「宝くじ」について不透明なお金の流れがあることが、事業仕分けで明らかになり、「それが解消されるまでは宝くじの販売を見合わせるべき」との結論が出ました。年間1兆円にも上る宝くじの売り上げのうち、当選金に回るのは45%程度。残りのお金の大部分は、地方公共団体を経由して総務省の天下り団体に流れています。

 しかし、これらの天下り団体はいずれも公益法人。税制上の優遇措置を受けているとはいえ、あくまでも民間団体であるため、政府が業務の改善を求めても強制力は働きません。したがって、今回の事業仕分けのポイントは、むしろ、そうした公益法人を監督する立場にありながら、不必要な随意契約等を通じて天下り先にお金を流し続けている各省庁の仕事ぶりに、厳しい目を向けることにあります。

 庶民の夢である宝くじが販売中止にならないように、一刻も早い改善が期待されます。

 動画は→こちら

 「野村修也の木曜政経塾」は、日テレNews24の毎週木曜日20時20分ごろより、中島静佳さんとともに生放送でお送りしています。

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テレビ寺子屋で「法人税の実効税率」を取り上げました

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 「野村修也のテレビ寺子屋」(毎週水曜午前9時より日テレNews24で生放送中)。27日は「法人税の実効税率」について、加藤亜希子キャスター とともにお送りしました。

 動画は→こちら

 18日に経産省が発表した成長戦略の骨子案。その中に、法人税の実効税率を現在の約40%から将来的に25~30%に引き下げる目標が盛り込まれました。この法人税の実効税率とは一体いかなるものなのか、また、なぜ引き下げる必要があるのか、そして、税収への影響などについて、基本的なところから解説してみました

 

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「ハーバード白熱教室」を10倍楽しむ方法

 NHK教育テレビで毎週日曜日18時から放送中の「ハーバード白熱教室」が話題だ。法学部生の時代から数えるとかれこれ30年間にわたり法律学を学び続けている私にとっては、講義内容は既知の部分が少なくないが、マイケル・サンデル教授の講義の進め方や学生に対する接し方には学ぶべき点が多く、大変興味深い。

 マイケル・サンデル教授と言えば、チャールズ・テイラー、アラスデア・マッキンタイア、マイケル・ウォルツァーらとともに、「コミュニタリアニズム」を代表する政治哲学者の一人である。

 5月23日の放送では、リベラリズムの代表的思想家であるジョン・ロールズの『正義論』(紀伊國屋書店から出されていた邦訳は絶版中)が丁寧に紹介されていたが、サンデル教授自身はむしろロールズの思想を批判したことで知られている。1980年代に華々しく展開された「リベラル・コミュニタリアン論争」がそれである(詳しくは、アダム・スウィフト ・スティーヴン・ムルホール (著) 谷澤正嗣 (訳) 「リベラル・コミュニタリアン論争」(勁草書房)を参照)。

 リベラリズムは、自由で平等な独立した個人を前提とした上で、正義や公正を道徳的な美徳からではなく、価値中立的なものとしてとらえる。それに対し、コミュニタリアニズムは、人間はそもそも共同体に埋め込まれた存在であるとして、「連帯」「美徳」「共通善」といった価値を重んじる点に特徴を持つ。

 とはいえ、リベラリズムもコミュニタリアニズムも、ともに福祉国家型の経済政策を支持する点では共通しており、その意味で、個人の自由を最大限尊重し、政府の干渉を最小化しようとするリバタリアニズムと対峙している。

 というわけで、ハーバード白熱教室を10倍楽しむためには、リベラリズム、コミュニタリアニズム、リバタリアニズムの思想を踏まえておくことが大切ということになる。そこで、主な文献案内をしておこう。

(リベラリズム) 代表的著作は、ロールズ『正義論』(紀伊國屋書店から出されていた邦訳は絶版中)と井上達夫『共生の作法』(創文社)および『他者への自由』(創文社)だろう。入門書としては、稲葉振一郎『リベラリズムの存在証明』   (紀伊國屋書店)がある。

(コミュニタリアニズム) 代表的著作は、テイラー『自我の源泉』(日本語には翻訳されていない)、マッキンタイア『美徳なき時代』(みすず書房)、サンデル『リベラリズムと正義の限界』(勁草書房)および『民主主義とその不満』(日本語には翻訳されていない)、ウォルツァー『正義の領分』(而立書房)がある。日本人の著作としては、中野剛充『テイラーのコミュニタリアニズム』(勁草書房)があり、入門書として菊池理夫『日本を甦らせる政治思想現代コミュニタリアニズム入門』(講談社現代新書)がある。

(リバタリニズム)代表的著作は、ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』(木鐸社)、ミーゼス『ヒューマン・アクション』(春秋社)、ロスバード『自由の倫理学』(勁草書房)、ナーヴソン『リバタリアンの理念』(日本語には翻訳されていない)などであり、リバタリアニズムを描き出したベストセラー小説として、ランド『水源』(ビジネス社)がある。日本人の著作としては、森村進『財産権の理論』(弘文堂)、橋本祐子『リバタリアニズムと最小福祉国家』(勁草書房)、蔵研也『無政府社会と法の進化』(木鐸社)がある。入門書としては、森村進『リバタリアニズム読本』(勁草書房)および『自由はどこまで可能か』(講談社現代新書)がある。

 テレビの見方は人それぞれであり、他にも楽しみ方がたくさんあるだろうが、法学部の学生諸君には、上記3つの思想に関する本を少なくとも1冊ずつは目を通した上で、サンデル教授の講義を受けることを勧めたい。そうすれば、今までよりも10倍楽しく、番組を見ることができるだろう。

 

 

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雑誌フィナンシャルジャパン7月号「SECの権限」

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 雑誌「フィナンシャル・ジャパン」に連載中の「会社法がわかれば商売がわかる」。7月号(第51回)のテーマは、「SECの権限」です。

 ゴールドマン・サックスを証券詐欺で訴えたSEC(米国の証券監視委員会)。いったいどのような組織で、どのような権限を有するものなのかは、意外に知られていません。中でも、特にわかりにくいのが、SECによる民事訴訟。付随的救済とはどのようなものなのか、またその狙いはどこにあるのかについて、簡単な解説を加えました。

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日テレNEWS24「野村修也の木曜政経塾」で「国民投票法の施行」を取り上げました

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 20日の『デイリープラネット』「プラネット・View 野村修也の木曜政経塾」は、「国民投票法の施行」を取り上げました。憲法改正手続きを定めた国民投票法。施行はされましたが、憲法審査会は開けないまま。投票年齢を18歳に引き下げるための条件とされていた公職選挙法や民法の改正も、目処が立たないままになっています。なぜ、このような事態になったのか、詳しく解説しました。

 動画は→こちら

 「野村修也の木曜政経塾」は、日テレNews24の毎週木曜日20時20分ごろより、中島静佳さんとともに生放送でお送りしています。

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原英史『官僚のレトリック』(新潮社)

 みんなの党の党首である渡辺喜美議員が行政改革担当大臣だった頃、その補佐官として活躍された原英史さんから、『官僚のレトリック』(新潮社)というご著書を頂戴しました。

 安倍内閣、福田内閣における公務員制度改革を振り返りながら、真の「政治主導」、真の「脱官僚政治」とはどのようなものなのかを分かりやすく説明するとともに、現在の民主党政権の「政治主導」が本物と言えるのかどうかについて、鋭く分析を加えています。

 当時、私は「官民人材交流センターに関する有識者会議」のメンバーとして、原さんと一緒に仕事をしておりました。私自身、この会議(併せて「年金業務・組織再生会議」もまた並行して開催されていました)に出席するため、毎週のように総理官邸に足を運んでおりましたので、本書に書かれている出来事の多くは自ら経験したことでもあり、とても懐かしく読ませていただきました。

 例えば、本書の132頁では、私のことも次のような形で取り上げてくださっています。

 「センター懇談会では、『渡りの即時禁止』も争点となった。『渡り』とは、もともとは『渡り鳥』人事と呼ばれていたものがついつの間にか省略されたようだ。いったん天下った官僚OBが、次々に別の天下りポストに渡っていくことを指す。そのたびに高額の退職金が支払われるケースも多い。」

 「これについて、センター懇談会委員の野村修也中央大学教授・弁護士は、『すでに退職したOBに対して再就職斡旋を行うことは、法令上の根拠が全くなく、新たな天下り規制の施行を待つまでもなく違法行為ではないか』と主張した。必ずしもセンターの制度設計と直結する話ではなかったが、他の委員も賛同し、懇談会として『渡りの即時禁止』を提言するしようということになったのだ。」

 実は、この提案が、その後、福田内閣の町村官房長官(当時)を巻き込んで、ある事件へと発展していくことになるのですが、その点については、是非とも、本書をご一読いただければと思います。

 いずれにせよ、単なる官僚バッシングではなく、日本の将来を見据えた真の「政治主導」への提言を含んだ本書を、1人でも多くの方々にお読みいただきたいと思います。 

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テレビ寺子屋で「改正貸金業法の完全施行」を取り上げました

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 「野村修也のテレビ寺子屋」(毎週水曜午前9時より日テレNews24で生放送中)。19日は「IMFの緊急融資」について、加藤亜希子キャスター とともにお送りしました。

 動画は→こちら

 多重債務者問題の解決を目的として06年に改正された貸金業法。段階的に施行されてきた改正法が、いよいよ来月18日に完全施行となります。19日の「テレビ寺子屋」では、この改正が私たちの生活に与える影響について詳しく解説しました。

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日テレNews24「野村修也の木曜政経塾」で「パロマ事故の有罪判決」を取り上げました

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13日の『デイリープラネット』「プラネット・View 野村修也の木曜政経塾」は、「パロマ事故の有罪判決」をテーマに、この判決の特色や、そこから読み取れる教訓について解説しました。

動画は→こちら

「野村修也の木曜政経塾」は、日テレNews24の毎週木曜日20時20分ごろより、中島静佳さんとともに生放送でお送りしています。

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テレビ寺子屋で「IMFの緊急融資」を取り上げました

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 「野村修也のテレビ寺子屋」(毎週水曜午前9時より日テレNews24で生放送中)。12日は「IMFの緊急融資」について、加藤亜希子キャスター とともにお送りしました。

 財政危機に陥っているギリシャに対し、IMF(=国際通貨基金)は今月9日、3年間で約300億ユーロ(約3兆5000億円)の緊急融資を承認しました。そこで、そもそも IMFとは一体どのような組織なのか、緊急融資とはどのようなものなのかについて、解説しました。

 動画は→こちら

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法学セミナー6月号で「金融と法」について学生向けに解説しました

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 法学セミナー6月号の特集は「不況日本の経済社会と法律問題」です。一橋大学法科大学院院長で消費者委員会委員長の松本恒雄先生が序文「経済社会における法」をお書きになられたのを受けて、複数の執筆者によって、消費者、雇用、企業、金融といった各テーマついて、分析が試みられています。ただし、初学者向けの入門特集という位置づけから、その内容はいずれも平易なものとなっています。

 私の担当は「金融と法」。銀行に対する自己資本比率規制を取り上げて、銀行はなぜ厳しい監督に服する必要があるのかを解説しています。その上で、自己資本比率規制と「貸し渋り・貸し剥がし」と呼ばれる現象の関係を検討しつつ、亀井静香金融担当大臣の肝いりで制定された「中小企業金融円滑化法」について、批判的に検討を加えました。

 「中小企業金融円滑化法」は、中小企業の側が貸付け条件等の緩和を求めてきた場合には、可能な限りそれに応ずるよう金融機関に努力義務を課した法律です。努力義務である以上、条件緩和に応ずるかどうかは金融機関側の裁量に委ねられますが、他方において、その相談と対処の状況について公に開示すべきものとされていることから、一定程度のパブリック・プレッシャーがかけられる仕組みとなっています。

 私は、この法律を次のように評価しました。

 「自己資本比率規制というルールによって、銀行の貸出し行動に『歪み』が生じているのだとすれば、ルールを弾力的に運用することによって、『歪み』を是正するのは合理的である。しかし、この論理が成り立つのは、『健全』な企業への貸出しがその『歪み』によって『不健全』なものと評価されてしまっている場合に限られる。『不健全』な企業は、どんなにルールを変更しても『不健全』であることには変わりがない。にもかかわらず、ルールの変更によって、それを『健全』な企業とみなすのだとすれば、それはいかにも危険な論理である。5段階評価でBだった人が、3段階評価にしたらAになったからといって、頭が良くなったわけでないことは、小学生でもわかる論理だ。」

 「資本主義経済においては、不健全な企業は淘汰され、より有益な企業に経営資源がシフトされることが大切なのであって、それこそが社会の成長のプロセスである。もし仮に、事実上の強制力を及ぼして、銀行に対し無理な条件緩和を強要するような事態になったとすれば、社会の健全な成長は蝕まれてしまうだろう。それは危険な『麻薬』であって、一時的に楽になった気がしても、いずれは廃人と化すだけだ。」

 こうした理解を前提に、本稿は、中小企業金融円滑化法によってゾンビ(幽霊)企業が延命され、不良債権の山が築かれることのないように警告を発する形で締めくくられています。

 なお、同じ特集の中で、(独)経済産業研究所上席研究員の鶴光太郎氏が「経済学からみた法」という論稿をお書きになっていますが、その締めくくりのパラグラフには、「法制度を無理矢理変えて、関係者の行動パターンを変化させるのは、『いやがる犬の首輪を引っ張り別の方向へ向かわせることに』似ている。」という文章が出てくることを、付言しておきます。

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池田信夫先生の『使える経済書100冊』(NHK出版生活人新書)

 著書ブログなどを通じて、その発言が注目される経済学者・池田信夫先生が、多種多様な「使える」経済書100冊を紹介する本。

 紹介されている本の一覧は→こちら

 本の忠実な紹介というよりは、池田先生の感想を味わえる点がポイント。その意味で、リストに載っている本をかなり読み込んでいる者にとっても、必見のブックガイドと言えるだろう。

 学生諸君は、このブックガイドだけで、実物を読んだ気にならないことが大切だ。紹介されている本は、どれを取っても読む価値の高いものばかりなので、気に入った本を選んで是非とも読んでみてほしい。その上で、池田先生の感想と自分の感想とを比べてみることをお勧めしたい。

 言うまでもなく、読書は、書き手と読み手の共同作業だ。したがって、読み手の問題関心や素養によって感想は大いに異なってくる。そのことを実感したければ、先に実物を読んでから、池田先生のブックガイドを読んでみるという方法も面白いかもしれない。

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イー・ウーマン円卓会議参考資料「保険比較の法律学」

 来週1週間、佐々木かをりさんが代表をされているイー・ウーマンのHP上で、円卓会議の議長をさせていただくことになりました。テーマは、「自動車保険、比較して買っていますか?」です。そこで、その参考として、保険商品の比較に関する法律について解説してみたいと思います。

 保険商品の募集行為(販売・勧誘と契約締結の媒介ないし代理)は、保険業法およびその施行規則と、金融庁が定める保険監督指針によって規律されています。

 それらによれば、保険商品の募集行為ができるのは、保険会社等およびその役員、保険募集人(保険代理店を含む)、保険仲立人およびその役職員などに限られ、しかも、その勧誘方法等については厳しいルールが設けられています。

 その中で、保険商品の比較に関するルールとしては、保険業法300条1項6号の規定があります。それによれば、保険の募集を行う者は、「保険契約者若しくは被保険者又は不特定の者に対して、一の保険契約の契約内容につき他の保険契約の契約内容と比較した事項であって誤解させるおそれのあるものを告げ、又は表示する行為」をしてはならないものとされています。

 文言からも明らかなように、この条文は、保険商品の比較を全面的に禁止したものではなく、「誤解させるおそれのある」比較を禁止したものにすぎません。しかし、何がその基準に抵触するのかが曖昧であるため、保険会社は、保険募集人等に対し、他社の保険商品との比較を行わないに指導してきました。保険募集人等が保険募集の際に文書等を用いようとする場合には、その内容について保険会社の許可を得なければならないものとされているため、保険会社は、他社商品との比較を含む募集文書の使用を禁止してきたわけです。

 このことは、一見すると法令を遵守するための止むを得ない措置のように見えますが、その背景には、他社商品と比べられることで自社商品の欠点が露わになることを避けたいという保険会社の思惑も見え隠れしています。もしも、それが本音だとするならば、保険会社が行ってきた保険比較の抑制措置は、自社の利益を、消費者の利便性に優先させたものと批判されても仕方がない面があります。

 そこで、金融庁は、平成17年4月に「保険商品の販売勧誘のあり方に関する検討チーム」を設け、保険商品の比較のあり方を検討しました(関連する報告書はこちら。その検討結果は、保険監督指針に直ちに反映され、「誤解させるおそれ」のない比較の仕方が明記されました(Ⅱ-3-3-2 生命保険契約の締結及び保険募集(6)法第300 条第1 項第6 号関係、Ⅱ-3-3-6 損害保険契約の締結及び保険募集(6)法第300 条第1 項第6 号関係)。また、この検討チームの報告書では、保険比較の推進に向けて協議会を設けることが提言され、生命保険業界と損害保険業界とが一体となって消費者や保険募集人の方々と熱心な意見交換が行われました。

 このような形で金融庁のルールが明確化され、協議会を通じてその必要性が共有されたことから、保険商品の比較が進むものと期待されましたが、実際には、思うように進んでいないのが現状です。そんな中、昨年、損害保険協会は、協会内に根強い反対意見があるにもかかわららず、自らのホームページ上に、自動車保険商品の比較サイトを開設しました。消費者の利便性向上という観点から、この試みは大変画期的なことであったわけですが、マスコミ等でほとんど取り上げられなかったこともあり、残念ながら十分に利用されないまま今日に至っております。

 なお、保険仲立人の場合は、保険会社から独立して(消費者の側に立って)保険契約の締結を媒介する立場にあることから、「誤解させるおそれ」がない限り、自由に保険商品の比較を行うことができます。しかしながら、我が国の保険仲立人制度は、媒介を行うために作成しなければならない書類が多く、費用の面で採算が取れないことから、家計保険(家庭用の保険)の分野ではほとんど媒介を行っていないのが現状となっています。

 以上の状況を踏まえて、金融審議会は、保険の基本問題に関するワーキング・グループを設置し、保険募集のあり方について更なる検討を加えておりましたが(中間報告はこちら)、政権交代以降、金融審議会が開催されなくなったため、議論は中断したままとなっています。

 

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「木曜政経塾」で「時効制度の見直し」を取り上げました

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 日テレNews24が毎晩お送りする中島静佳さんの「デイリー・プラネット」。毎週木曜日には「野村修也の木曜政経塾」(20時20分ごろからの生放送)のコーナーがあります。5月6日に取り上げたテーマは、「時効制度の見直し」です。

 殺人事件などの時効廃止を盛り込んだ刑法と刑訴法の改正法が先月に成立し、公布・施行されましたが、冤罪の恐れや証拠保管の難しさなど問題点も指摘されています。また、時効の撤廃は手段であって、目的はあくまでも犯人逮捕。今回の改正により、警察官の仕事は増えることになりますが、ここは是非とも、未解決事件の早期解決に力を尽くして欲しいものです。

 なお、今回の放送では、第1のポイントのところで、中島さんが「この『早すぎませんか?』というのはどういう意味ですか。」と尋ねたのに対し、本当は、「2つの意味があります」と答えなければなりませんでした。それを忘れてしまったため、その後の進行で中島さんを梃子摺らせてしまいました。中島さん、どうかお許しを(笑)。来週は、ミスらないように頑張るぞ!

動画は→こちらです。

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「小さな政府」を「大きな社会」で包み込む

 90年代以降、日本の思想をリードしてきた宮台真司氏は、ニクラス・ルーマンの「社会システム論」に基づく理論社会学を基本的視座に据えながら、『制服少女たちの選択』(1994年)、『終わりなき日常を生きろーオウム完全克服マニュアル』(1995年)、『透明な存在の不透明な悪意』(1997年)など一連の著作を通じて、現代社会の抱える諸問題に深く切り込んできた気鋭の社会学者です。

 そんな彼が、理想の社会像として提示するのが、「小さな政府(国家)」と「大きな社会」の組み合わせです。例えば、昨年ベストセラーとなった『日本の難点』(幻冬舎新新書)では、次のように述べています。

 「政府の財政に限りがあり、政府の支援が社会の空洞化を促進する以上、どのみち『大きな政府』ではやっていけない。これは端的な事実だという他ありません。」「であれば、・・・社会から『大きな国家』に移転されてしまった便益供与のメカニズムを、社会に差し戻す必要があります。それが、『大きな社会』の含意です。僕の考えでは、『小さな国家』&『大きな社会』への流れは、どのみち不可避なのです。」

 宮台氏は、この「小さな政府を大きな社会で包摂する」という考え方の源流を、サッチャー元首相からメージャー元首相に続く保守党政権下で大臣を歴任したダグラス・ハード氏に求めています。すなわち、彼が示した「能動的市民社会性」の考え方が、労働党系政治学者であるデビット・グリーンや保守党系政治学者であるバーナード・クリックの支持を得て、政権交代後のブレア政権のブレインであった労働党系社会学者のアンソニー・ギデンズ(あの有名な「第三の道」の提唱者)へと受け継がれたというわけです。

 確かに、この枠組みは、日本社会の問題を分析する際にも、一定の有用性を持つように思います。長年にわたる自民党政治が「大きな政府」&「小さな社会」を基礎にしていたのに対し、小泉構造改革は、「小さな政府」を目指しました。しかし、「小さな政府」を包み込むだけの「大きな社会」が育たなかったため、「小さな政府」&「小さな社会」という、最も「痛み」を伴う組み合わせに陥ってしまいました。

 それに対し、現在の民主党政権は、「大きな政府」に回帰することで、その「痛み」を緩和しようと試みています。しかし、国民の多くはそれがモルヒネ療法にすぎないことに気付き始めています。確かに民主党政権も、「新しい公共」という問題提起をすることで、社会の新しい在り方を模索しようと試みていますが、その先にあるものが、「大きな政府」によって強要された「大きな社会」だとするならば、それは社会主義に限りなく近い社会システムのように思えてなりません。

 宮台氏は、「大きな社会」と言っても、強い「社会的排除」を伴う旧来の家族や地域や宗教団体を復活させることを企図するものではないことを強調します。では、それはどのようなもので、一体どうすれば構築できるものなのでしょうか。仮にその答えが見つかったとすれば、日本の進むべき道も見えてくるのかもしれません。しかし、もしかすると、それは単なる机上の空論であって、セカンド・ベストとの間で折り合いをつけなければならないのが現実かもしれません。いずれにせよ、より踏み込んだ議論を重ねることが必要だと思います。

 民主党の中には、「大きな政府」か「小さな政府」かの論争はすでに終わったと豪語する人がいます。おそらく彼らの頭の中には、「新しい公共」を通じた「大きな社会」がイメージされていて、そちらを議論すべきだと考えておられるのでしょう。しかし、忘れてはならないことは、「大きな社会」の問題は、国家の在り方と一緒に議論しなければならないテーマであって、決して単独で論じられるべきものではないということです。

 

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これが「教養」だ

 清水真木『これが「教養」だ』(新潮新書)は、近代社会の成立とともに生まれた「教養」というものが、現在一般に理解されているものとは随分かけ離れたものであったことを教えてくれる。

 近代市民社会の成立とともに、私たちの生活は、公共圏(政治)、私有圏(仕事)、親密圏(家族)に分断された。このことから生ずる「居心地の悪さ」を解消するために、「自分らしい」調整手段(哲学的に表現するとすれば、決議論的な問題解決能力)を身に付けることーこれこそが「教養」の本来の姿だったと清水氏は言う。

 こうした「教養」のあり方が、「人格の陶冶」を自己目的とする知的営みへと変化したのは、そう古いことではない。18世紀後半に起こったロマン主義の文学運動(疾風怒涛=シュトゥルム・ウント・ドラング)の中心人物であるヘルダーの影響を受けて、フンボルトが行ったプロイセンの教育改革が、「教養」の概念を大きく変容させた。また、日本では、明治39年から大正2年まで旧制一高の校長を務めた新渡戸稲造とその信奉者たちが、「教養主義」という考え方を打ち出し、それがその後の「教養」のあり方を方向づけることになる。

 平成3年に文部省(当時)が大学設置基準の大綱化を行って以来、「教養」とは何かという問題は、大学教育に携わる者にとって共通のテーマだった。その答えが見つからないまま、私は、法学部の教授から法科大学院の教授へと移籍した。法科大学院は専門職大学院のひとつで、もっぱら「実学」を教える場として位置づけられている。そもそも「実学」とは何なのか、「教養」教育を旨とする「虚学」とはどのような関係にあるのか。試験に出る知識を手っ取り早く習得しようとする学生たちを前に、悩みは尽きない。そんな私にとって、清水氏の著書は、「教養」と「実学」とを相対化する視座を与えてくれた点で、大変興味深かった。

 

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ぼくらの頭脳の鍛え方

 立花隆と佐藤優が対談形式で教養書400冊を縦横無尽に切りまくる『ぼくらの頭脳の鍛え方』(文春新書)は、知的営みにおける読書の重要性を再認識させてくれる。

 どのページも興味深いが、特に面白かったのは、カントの評価(220頁)。立花氏は、ニュートン的な時間と空間の概念をアプリオリな前提としている点で、すでにカントの思想に学ぶところはないとの立場をとっているのに対し、佐藤氏は、現代科学がアインシュタインの相対性理論をいくら評価しようとも、社会のシステム自体は依然としてニュートン的世界観に根ざしているのであって、カントが提示した「アンチノミー(二律背反)に耐える」という考え方は、いまだ重要性を失っていないと主張している。

 最近の学生は、「どんな本を読んだらいいですか」と聞かなくなった。その理由が、本書のような骨太のガイドが揃っている点に求められるのであればいいが、そもそも本を読まなくなったことに起因しているとするならば、忌々しき問題と言わなければならない。

 

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経済倫理=あなたは、なに主義?

 橋本努『経済倫理=あなたは、なに主義?』(講談社、2008年)は、経済政策に対する自分の考え方に一貫性があるのか、あるとしたら、それはどのような思想として位置付けられるのかを教えてくれる。

 政府による恣意的な介入を認める立場(包摂主義・介入主義)と、それを否定する立場(非包摂主義・不介入主義)との対立は一見明瞭であるが、実は、いずれの立場にあっても、さらに内部で異なる考え方が対立していることを、この本は浮き彫りにしてくれる。つまり、例えば同じく包摂主義と言っても、その中には、M・フーコーのいう「司祭権力」型と「規律訓練権力」型とがあることを理解しなければならず、さもなくば、意見の対立軸が不明確になるというわけだ。

 前者の考えは、「強者が『慈愛心』をもって弱者に接し、弱者を国家に依存させながら、社会全体を統治しようとする」ものであるのに対し、後者は、「人々が政府に依存しなくても生きていけるように、人々を『主体的で自律した人間』へと育てよう」とする考え方である。

 私は、この区別を読んで、大富豪である鳩山総理がどういう気持で「弱者保護」を語っているのかが理解できた気がして、いささか不気味さを感じた。

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ツイッターの便利ツール

ツイッターの便利ツールです。他にも沢山あるようですが、とりあえず3つだけ。

リストを検索できる http://723.to/tw/listsearch.php

話題のキーワードがわかる http://buzztter.com/ja

代わって質問してくれる http://oketter.okwave.jp/

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ブログからもツイッターを読めるようにしました

 ブログの右側に、私がツイッターでつぶやいた最新ツイートが掲示されるようにしたのですが、端の方が切れているような・・・(笑)ました。

 当初は失敗していたのですが、デザイナーの方がツイッターで直し方を教えてくださったので、今はうまく収まっています。いずれにせよ、最新のツイートしか掲示されませんので、全部読みたい方は、是非、右上のボタンを押して、私のツイッターをフォローしてください。

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