スマート農業

「スマート農業」とは、情報通信技術(ICT)や人工知能(AI)などを活用することによって農作業の効率化を目指した「新しい農業」のこと。ある調査によると、我が国における「スマート農業」関連の売上高は2015年度には約97億円でしたが、2022年度にはおよそ3倍の約332億円になると見込まれています。スマート農業によって、農業はまさに成長産業となることが期待されています。

スマート農業の先進国はオランダ。農作物の年間輸出額を比べてみると、日本が約3600億円なのに対し、オランダは10兆3700億円に上ります。まさに、オランダを追いかけ、追い越すことが求められます。

では、どのような具体策が考えられるのでしょうか。

農作物の穫れ高は、気候の変化や災害に大きく左右され、時には、大幅な価格変動に見舞われます。そこで、こうした農業の不安定さを様々な技術を駆使することで乗り越えることが目指されています。

例えば、農地の位置情報と気象データを連動させ、気候変動のリスクを農家に自動的に知らせるシステムなどが開発されています。気象の変化に警戒する必要が生じた時に、生産者にメールで情報が伝えられる仕組みを設けることで、気候変動に即した栽培管理ができるようになるわけです。

作物ごとに必要な太陽光の量をセンサーで感知し、それに応じてソーラーパネルの角度が自動で切り替わる発電システムも開発されています。これにより余分な太陽光を遮断し、作物を高温障害から守ることが期待できるというわけです。発電もできて、農作物も守れるという一石二鳥のシステムです。

さらに、スマート農業は、農家の人手不足の解消にも役立つと期待されています。農業に携わる人の数は、この7年間で約3割も減るなど、急速に「農業離れ」が進んでいます。農業従事者の高齢化や後継者不足も深刻な問題になっています。

そこで国は、ロボットの活用を推し進めたり、ベテラン農家の「ノウハウ」データ化して若い世代に伝承したりと、様々な取り組みを行っています。このことによって、新たに農業にチャレンジしてみようという人々が増えることが期待されます。

しかし、その一方で、消極的な意見も見られます。農業関係者に対して行ったアンケート調査では、何といっても最大のネックは、設備の導入にかかる費用と時間。これを乗り越えるには、政府がある程度の財政支援によって一気呵成に「スマート農業」化を進めることが必要だと思われます。その際、すべての農家を「スマート農業」化することは現実的ではありませんし、また、その必要もないでしょう。

本格的なスマート農業が必要なのは、生産した農産物やその加工品を世界に輸出し、グローバルに競争する農家です。政府には、こうした農家を支援するために「スマート農業」の全体スキームと行程表を明らかにして欲しいです。

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ユリウス暦とキリスト教的歴史観

ユリウス暦は、カエサルによって紀元前45年に実施された太陽暦であるが、キリスト教の多くの宗派が採用したことで普及した。なぜキリスト教は、この暦を受け入れたのだろうか。

暦が成り立つためには、時が直線的に刻まれていくという感覚を皆が共有することを必要とする。

古代ギリシアの歴史家と言えば、『歴史』を著したヘロドトス(前485~425年)と『戦記』を著したトゥキュディデス(前460~400年)が双璧をなす。これらは、どちらかと言えば、歴史書と言うよりは文学作品であって、そこに明確な歴史観は見出しがたい。また、古代ギリシア哲学者の著作にも、歴史を扱ったものは存在しない。

しかし、レービットによれば、ギリシアには同じ出来事が繰り返されるのが歴史であるといった循環的・回帰的歴史観があったとされる。自然の営みからすれば、歴史は繰り返されるといった感覚の方が、ギリシア人の生活実感にマッチしていたのかもしれない。

こうした歴史観を大きく覆したのはキリスト教の教えであった。天地創造の神に背き罪(原罪)を犯した人間が、神の摂理を示す歴史を通じて救済され、永遠に神の祝福の下にある新天新地に至るといった歴史観が生まれた。ノア契約、アブラハム契約、モーセ契約による救済を経た後、旧約聖書の予言は新約聖書の歴史によって実現される。救い主はイエスという名の人間になって(受肉し)、この世の降誕した後、人間の罪の身代わりとなって昇天した。その後、精霊が弟子たちに降臨し、信者の中に英霊が内在することになったが、やがて人類は終末を迎え、メシアの再臨、千年王国、人の復活、最後の審判を経て、新天新地に至ることになる。こうした歴史観は、キリストの人性を否定するグノーシス派に対抗するために、紀元前2世紀ごろにアンティオケのイグナティウスが提唱したものと考えられている。

かくしてキリスト教は、時の流れを直線的なものと見る歴史観を生み出すことになった。そして、これこそが、ユリウス暦を受け入れる素地だったのではないだろうか。

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塀のない刑務所

北海道網走市が「塀のない刑務所」を公開したことがニュースになっている。→ http://www.news24.jp/articles/2018/06/17/07396108.html

「塀のない刑務所」と言えば、先日逮捕された脱走犯の平尾受刑者が、松山刑務所の大井造船作業所という「塀のない刑務所」から脱走したしたことで、巷間の注目が集まった施設だ。平尾受刑者は、日中は一般の人と一緒に作業し、それ以外の時間も、塀はもちろん鉄格子もついていない寮のようなところで過ごしていた。

こうした「塀のない刑務所」は、現在、それぞれ特徴に違いがあるものの、松山以外にも網走、平岡、広島の4か所に設けられている。

どうして、こんな刑務所があるのか。そこには、受刑者の自立心を促すことで、刑務所を出た後の再犯率を減らす狙いがある。2012年、交通事故の過失犯を除いた一般刑法犯の再犯率は45.3%であるが、大井造船作業場では2010年から5年間の平均再犯率は2.2%と著しく低い。海外に目を転じてみると、フィンランドでは開放型刑務所を導入したことで再犯率が大幅に低下したことから、現在では「塀のない刑務所」が多数設置され、刑務所の外での職業訓練など再犯防止に向けた様々な取り組みが行われている。

その一方で、脱走の懸念は大きい。平尾受刑者が服役していた刑務所では、これまで17件、20名の逃走事案があり、中には逃走中に人質をとるような事件も起こっている。

やっぱり塀は必要なのか。短絡的に結論を導く前に、看守の指導の厳しさや受刑者同士の人間関係に耐えられなかったという平尾受刑者の供述に耳を傾ける必要がありそうだ。塀のない刑務所は、普通の刑務所以上に規律が厳格で、受刑者同士の上下関係も厳しいと言われている。それが再犯率の低下につながっているわけだが、受刑者が脱走する動機にもなっているとすれば由々しき問題だ。安易に塀を設けるのではなく、日常生活の管理のあり方を検証し改善することが求められる。

法務省は平尾受刑者の事件をきっかけに再発防止策に取り組んでいるが、例えば受刑者にGPS バンドの装着を義務付ける代わりに、日常生活の管理の仕方を見直すなど、抜本的な対策を打ち出して欲しい。

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住宅宿泊事業法(民泊新法)の施行

2018年6月15日、住宅宿泊事業法(いわゆる民泊新法)が施行されました。

子供が独立したことで子供部屋が余ったり、介護付きの施設に移ったことで祖父母の部屋が余ったりした場合、その部屋を有効活用したいと思う人は少なくないはずです。

生活の本拠を求めている人に貸す、つまり1ヶ月を超える形で貸すのであれば、賃貸借契約を結ぶことになるのですが、マンション形式ではない「間借り」の形は好まれなくなっています。

宿泊の形であれば、とりわけ外国人観光客の需要が見込めますが、従来であれば、国家戦略特区に指定された大阪市や東京都大田区などのいわゆる特区民泊を除き、旅館業の許可が必要でした。旅館となれば、場合によってはフロントを設けるなど様々な設備を整える必要があります。

その一方で、外国人旅行者を中心にインターネット上の民泊仲介サイトが人気を集め、いわゆる違法民泊が横行するようになりました。その結果、近隣住民とのトラブルの発生や犯罪の拠点となるなど、様々な社会問題が浮き彫りになりました。

そこで、利用者が安心して泊まれるように民泊を運営するルールを定めた法律が、6月15日に施行された「住宅宿泊事業法」というわけです。
 
この法律によって、年間180日間の範囲内であれば、旅館としての許可を受けなくても、自治体に届け出るだけで、自宅などで民泊ビジネスを行うことができることになります。

詳しくは→国交省・民泊制度ポータルサイト  http://www.mlit.go.jp/kankocho/minpaku/ 参照

ただし、民泊ビジネス行う者は、義務として、非常用照明器具の設置や、本人を確認した上で宿泊名簿を作ること、宿泊者へのマナーの説明、近隣住民からの苦情の受け付けなどが求められます。

同法の施行を受けて、いわゆる違法民泊は激減するものと見込まれますが、民泊ビジネスなのか否かが分かりにくいケースも残ります。

例えば、外国の友だちから、お礼を払うので、自分の子どもをホームステイさせて欲しいと言われた場合などは、どうでしょうか。民泊ビジネスとは、あくまでも、他人を相手とした社会的行為として営利を目的に何度も繰り返して行う場合だけが対象なので、友人の子どもを一時的に預かるだけなら、たとえ対価をもらったとしても、届出は不要です。しかし、名目上はホームステイであっても、広く他人を対象として営利の目的で反復継続的に受け入れをするような場合には、民泊とみなされ届出が必要になりますので、注意が必要です。

いずれにせよ外国人旅行者が増える中、泊める側も、泊まる側も、そして地域住民も安心できる民泊ビジネスが広がって欲しいですね。

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ブログを再開します

長年放置していたブログを再開しようと考えています。
準備を進めている段階なので、しばらくお待ちください。

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舛添要一『厚生労働省戦記』(中央公論新社)を読む

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 2007年8月以来、安倍・福田・麻生の各内閣において厚生労働大臣を務めた舛添要一氏が、752日間にわたる在任期間中の仕事を振り返りながら、大臣とはどうあるべきなのかを問う回想録。

 私は、2008年3月から8月までの5ヶ月間と同年10月から11月までの2ヶ月間、舛添大臣の下で年金記録問題の解決に当たったことから、ごく一部分ではあるが、舛添大臣の仕事を間近で垣間見た者の一人である。

 そうした中で、私は、舛添大臣の仕事ぶりにはいくつかの特徴があるように感じていた。しかし、当時は、その背後にある舛添大臣の考え方を深く理解するまでには至らなかった。本書を読んで私は、ようやくその謎が解けたような気がしたので、ここでは特にその点を紹介しておこう例えば、本書には次のような下りがある。

 「官僚を敵に仕立て上げてバッシングし、マスコミの歓心を買うのは、ポピュリズムであり衆愚政治である。しかし、大臣のリーダーシップに対して反旗を翻す役人には、メディアを利用するようなポピュリズムの手法を使ってでも抵抗を抑え込むことを辞さなかった。」(12頁)

 「要はバランスで、政治指導者は、原則は原則として、現実に問題が生じれば果敢にそれを修正していくリアリズムが必要である。原理主義者は真のリーダーには向いていない。」(83頁)

 「『汗は自分でかきましょう、手柄は他人にあげましょう』という竹下登元首相の言葉を励みとしたものである。」(266頁)

 これらの言葉に表れている行動原理が理解できれば、舛添要一という政治家が、厚生労働省という巨大組織の中で、抵抗する官僚やそれを支える族議員と闘いながら、何故あれほどまでに数多くの仕事をこなすことができたのかを理解できるに違いない。

 さらに本書には、舛添氏が「大臣キャビネ」と呼ぶ組織を上手に活用していた様子や、御用学者を集めた官僚の隠れ蓑としての審議会ではなく、信頼できる専門家を集めて政策決定を行っていた姿も描き出されている。これらは、新党結成後の舛添氏が将来の政権を構想する際にも、重要な仕組みとして位置付けられているようである。

 ところで、舛添大臣の下で私に与えられた仕事については、本書の172頁以下に詳しく述べられている。173頁には、私が室長を拝命した「年金記録問題に関する特別チーム室」について、次のような下りがある。

 「大臣に権限を授与されたこの特別チーム室は、社会保険庁に乗り込んでいって生の記録を検証し、これまで外部からはうかがい知れなかったこの組織の闇を暴いていくことになる。その過程で、特別チーム室と社会保険庁との間で壮絶なバトルが繰り広げられることになる。大臣である私は、両者の間を調整するのに大いに骨を折ったものである。」

 仕事の成果を高く評価していただきながらも、大変苦労をおかけしたことがにじみ出ているこの文章を読んで、私は、当時の自分があまりに原理主義的であったために、舛添大臣の行動原理にそぐわなかったことを知り、反省した次第である。

 また、年金記録(標準報酬月額)の改ざんを調査した報告書を委員長として取りまとめた後、私は、自民党の部会に呼ばれ、厚生労働省出身の自民党議員であった坂本由紀子参議院議員(当時)から強烈な批判を受けた。坂本氏は、その後、参議院の厚生労働委員会で舛添大臣に対しても私の報告書を批判する質問を行ったことが、183頁に描かれている。まさに、自民党の腐敗した族議員政治そのものとえいる光景であるが、今となってみれば、このような形になったのも、やはり私の原理主義が原因だったのかも知れないと感じている。

 いずれにせよ本書は、大臣とはどうあるべきなのかということを、私たちに鋭く問いかけてくる。まさに烈火のごとく仕事をこなし続けた舛添大臣と、何となく影の薄い長妻大臣とを比較しながら、両者の行動原理の違いに思いを至らせてみるのも面白いかもしれない。 

 

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日テレNEWS24「野村修也の木曜政経塾」で「宝くじの事業仕分け」を取り上げました

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 27日の『デイリープラネット』「プラネット・View 野村修也の木曜政経塾」は、「宝くじの事業仕分け」を取り上げました。庶民の夢である「宝くじ」について不透明なお金の流れがあることが、事業仕分けで明らかになり、「それが解消されるまでは宝くじの販売を見合わせるべき」との結論が出ました。年間1兆円にも上る宝くじの売り上げのうち、当選金に回るのは45%程度。残りのお金の大部分は、地方公共団体を経由して総務省の天下り団体に流れています。

 しかし、これらの天下り団体はいずれも公益法人。税制上の優遇措置を受けているとはいえ、あくまでも民間団体であるため、政府が業務の改善を求めても強制力は働きません。したがって、今回の事業仕分けのポイントは、むしろ、そうした公益法人を監督する立場にありながら、不必要な随意契約等を通じて天下り先にお金を流し続けている各省庁の仕事ぶりに、厳しい目を向けることにあります。

 庶民の夢である宝くじが販売中止にならないように、一刻も早い改善が期待されます。

 動画は→こちら

 「野村修也の木曜政経塾」は、日テレNews24の毎週木曜日20時20分ごろより、中島静佳さんとともに生放送でお送りしています。

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テレビ寺子屋で「法人税の実効税率」を取り上げました

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 「野村修也のテレビ寺子屋」(毎週水曜午前9時より日テレNews24で生放送中)。27日は「法人税の実効税率」について、加藤亜希子キャスター とともにお送りしました。

 動画は→こちら

 18日に経産省が発表した成長戦略の骨子案。その中に、法人税の実効税率を現在の約40%から将来的に25~30%に引き下げる目標が盛り込まれました。この法人税の実効税率とは一体いかなるものなのか、また、なぜ引き下げる必要があるのか、そして、税収への影響などについて、基本的なところから解説してみました

 

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「ハーバード白熱教室」を10倍楽しむ方法

 NHK教育テレビで毎週日曜日18時から放送中の「ハーバード白熱教室」が話題だ。法学部生の時代から数えるとかれこれ30年間にわたり法律学を学び続けている私にとっては、講義内容は既知の部分が少なくないが、マイケル・サンデル教授の講義の進め方や学生に対する接し方には学ぶべき点が多く、大変興味深い。

 マイケル・サンデル教授と言えば、チャールズ・テイラー、アラスデア・マッキンタイア、マイケル・ウォルツァーらとともに、「コミュニタリアニズム」を代表する政治哲学者の一人である。

 5月23日の放送では、リベラリズムの代表的思想家であるジョン・ロールズの『正義論』(紀伊國屋書店から出されていた邦訳は絶版中)が丁寧に紹介されていたが、サンデル教授自身はむしろロールズの思想を批判したことで知られている。1980年代に華々しく展開された「リベラル・コミュニタリアン論争」がそれである(詳しくは、アダム・スウィフト ・スティーヴン・ムルホール (著) 谷澤正嗣 (訳) 「リベラル・コミュニタリアン論争」(勁草書房)を参照)。

 リベラリズムは、自由で平等な独立した個人を前提とした上で、正義や公正を道徳的な美徳からではなく、価値中立的なものとしてとらえる。それに対し、コミュニタリアニズムは、人間はそもそも共同体に埋め込まれた存在であるとして、「連帯」「美徳」「共通善」といった価値を重んじる点に特徴を持つ。

 とはいえ、リベラリズムもコミュニタリアニズムも、ともに福祉国家型の経済政策を支持する点では共通しており、その意味で、個人の自由を最大限尊重し、政府の干渉を最小化しようとするリバタリアニズムと対峙している。

 というわけで、ハーバード白熱教室を10倍楽しむためには、リベラリズム、コミュニタリアニズム、リバタリアニズムの思想を踏まえておくことが大切ということになる。そこで、主な文献案内をしておこう。

(リベラリズム) 代表的著作は、ロールズ『正義論』(紀伊國屋書店から出されていた邦訳は絶版中)と井上達夫『共生の作法』(創文社)および『他者への自由』(創文社)だろう。入門書としては、稲葉振一郎『リベラリズムの存在証明』   (紀伊國屋書店)がある。

(コミュニタリアニズム) 代表的著作は、テイラー『自我の源泉』(日本語には翻訳されていない)、マッキンタイア『美徳なき時代』(みすず書房)、サンデル『リベラリズムと正義の限界』(勁草書房)および『民主主義とその不満』(日本語には翻訳されていない)、ウォルツァー『正義の領分』(而立書房)がある。日本人の著作としては、中野剛充『テイラーのコミュニタリアニズム』(勁草書房)があり、入門書として菊池理夫『日本を甦らせる政治思想現代コミュニタリアニズム入門』(講談社現代新書)がある。

(リバタリニズム)代表的著作は、ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』(木鐸社)、ミーゼス『ヒューマン・アクション』(春秋社)、ロスバード『自由の倫理学』(勁草書房)、ナーヴソン『リバタリアンの理念』(日本語には翻訳されていない)などであり、リバタリアニズムを描き出したベストセラー小説として、ランド『水源』(ビジネス社)がある。日本人の著作としては、森村進『財産権の理論』(弘文堂)、橋本祐子『リバタリアニズムと最小福祉国家』(勁草書房)、蔵研也『無政府社会と法の進化』(木鐸社)がある。入門書としては、森村進『リバタリアニズム読本』(勁草書房)および『自由はどこまで可能か』(講談社現代新書)がある。

 テレビの見方は人それぞれであり、他にも楽しみ方がたくさんあるだろうが、法学部の学生諸君には、上記3つの思想に関する本を少なくとも1冊ずつは目を通した上で、サンデル教授の講義を受けることを勧めたい。そうすれば、今までよりも10倍楽しく、番組を見ることができるだろう。

 

 

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雑誌フィナンシャルジャパン7月号「SECの権限」

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 雑誌「フィナンシャル・ジャパン」に連載中の「会社法がわかれば商売がわかる」。7月号(第51回)のテーマは、「SECの権限」です。

 ゴールドマン・サックスを証券詐欺で訴えたSEC(米国の証券監視委員会)。いったいどのような組織で、どのような権限を有するものなのかは、意外に知られていません。中でも、特にわかりにくいのが、SECによる民事訴訟。付随的救済とはどのようなものなのか、またその狙いはどこにあるのかについて、簡単な解説を加えました。

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